Nの中の箱庭

くたびれたアラサーオタクのひとりごと

【ネタバレあり】ドラゴンクエスト ユアストーリーをゲーム好きな母親と観てきました。

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ドラゴンクエスト ユアストーリー”メインビジュアル

こんにちは。Nyanです。最近さくさく焼肉マシーンに改名しました。呼ぶときは肉マシさん。

 

ブログとして投稿するのは実に1年以上ぶりになってしまった。

普段はサンホラ界隈やうたプリ界隈の話をつらつら書いており、今日までも書きたいことはいっぱいあったのだけれど、普通に筆不精なので完全にタイミングを逃してしまいった。それは今度書けたら書こう。

 

 

 

今日はそういった己の趣味の記事ではなく、うちの母親と一緒に映画を観にいったというだけの、親孝行なハートフル日常の一コマの話である。

 

母はオタクではないが、兄弟(私にとっては叔父、叔母)そろってゲームが趣味。

特に叔父は学生時代からガンプラミニ四駆・ゲームにとことんハマり、漫画アニメも嗜むがネットには疎い、昨今では珍しいアナログタイプのオタクである。

なもんでPCは持っていないがゲームハードは一通り揃っているゲームセンターみたいな家なので、昔はよく叔父のお下がりの新作ゲームをめちゃくちゃやったものだ。

 

話は飛ぶが、実は少し前に母が右足を骨折し、2ヵ月ほど自宅で安静にしていた時期がある。

松葉杖なしではろくに歩けない、運転もできないので外出もできず、スマホも持っていないもんで娯楽がテレビしかなく随分と暇だったようだ。先の叔父に色々とゲームを借り、箱庭アクション系をスキルマになるまで延々とプレイしていた。

そんな折に「ドラゴンクエストが映画になる」という話をニュースで頻繁に見るようになったそうで、「じゃあ公開前にシリーズ全部クリアしようかしら!」と思い立ち、叔父や私から歴代のドラクエシリーズを借りたいと言ってきた。

当然、今回の”ドラゴンクエスト ユアストーリー”の原題になった「ドラクエV」もプレイ済みだ。スーファミ版発売当時もプレイしていたようだが、今回はDSのリメイク版を記憶を頼りに進めていた。

キラーパンサー”ボロンゴ”を仲間にし、嫁候補が増えたのが気になりつつも幼馴染のビアンカを嫁にもらい、かわいい息子娘とキラーマシンをお供に世界を救ったのだ。

その後も映画公開までに歴代シリーズを進め、最終的にはドラクエXIで延々とマジスロを回していたが、先日ついに公開され始め「一緒に観に行ってほしい」と母から打診が来たのである。

 

 

母はいちゲーマーとして、純粋に楽しみにしていたのだ。ほんとうに。

 

 

 

 

※※※ caution!!! ※※※

 

以下、”ドラゴンクエスト ユアストーリー”のネタバレを含みます。

やや感情的な表現、批判的な意見も述べますので、苦手な方はこれ以上の閲覧をご遠慮ください。

また、唐突に違う作品の内容(レディ・プレイヤー1)について言及している箇所があるので、ご注意ください。

 

できれば未視聴の方もこのままブラウザバックしてほしい。

まっさらな気持ちでこの気持を味わってほしい。エンタメは新鮮なうちに摂取しようぜ。

 

 

 

↓↓↓↓以下ネタバレ↓↓↓

 

母に誘われたのは今週頭のこと、テレビのバラエティに主役の佐藤健が引っ張りだこにされていたあたりからだ。

ツイッター依存症の私は当然、その時点で今回の映画の酷評は目にしている。叩かれていたというよりは、ファンの悲痛な叫びが多かったように思う。

ただ、幸運なことに問題個所の直接的なネタバレは避けられていた。

評判悪いのが分かっているものに母を連れて行くのは気が引けたが、ネットに左右されない母の感想は興味がある。テレビではイケメン俳優の佐藤健が宣伝しているし、当然ポジティブな前評判しかない。あらゆる悲鳴を浴びた私のように色眼鏡がない純粋な感想が期待できる。

それにこれ以上先延ばしにしたら、絶対にネタバレを踏んでしまう。そしたらワイは絶対観に行かない。何よりどんだけ酷いもんかと、好奇心のほうが勝ってしまったのだ。

母親を人身御供にしようとする娘の図。人の心がない。

 

仕事終わりのレイトショー、それも辺鄙な片田舎の劇場だったので動員はまばら。それでも夏休み効果か、親子連れや男子学生グループが多かったように思う。

特にお父さんと一緒に来ている子も多くて、ああ昔プレイしてたドラクエキッズが今度は子供連れて来たんだなぁと感慨深くなった。

おい母ちゃん、その孫を見るようなまなざしはやめろ。来世に期待してくれ。

映画が始まるまでに母がテレビで得た前情報(やれスライムがプルプルだの、ボロンゴはふさふさだの)を楽しそうに話してくるので、少し良心が傷んでしまった。許せ、母よ。

 

 

冒頭は馴染み深いドット、ゲーム本編を切り取ったダイジェスト。

…おい随分飛ばすな。ビアンカとの出会いとか冒険シーンほとんどねぇけど。飛ばしすぎてフローラとの出会いシーンと同等のボリュームになっていたので釣り合うのか?

それでも見覚えありすぎる画面にちょっとテンションが上がる。レヌール城での戦闘画面とか。

主人公は”リュカ”、ベビーパンサーに”ゲレゲレ”と名付けて時は流れ、物語はCGを駆使したリアルな質感に代わっていく。

この辺りは普通に面白かった。パパス役のCV山田孝之は全然違和感なく溶け込んでいたし、ゲマの非道さに磨きがかかってとてもよかった。ヘンリー王子ってあんな感じだっけ?とかケンドーコバヤシは終始ケンコバであったり気になる点もあったけど些事些事。

正直ワイがプレイしたの10年くらい前なので細かいストーリーあんまり覚えてないのだった。

成長して奴隷からの脱却を図り、実家に戻って自分の出自を知り冒険に出る。ドラクエの主人公は基本的に終始無言なので特に滞りなくシナリオが進むのだが、今作は喋る。めちゃくちゃ喋るしものすごく自我があるのでちょっと日和って躓くが、それでも天空の勇者(仮)として冒険に赴くのだ。

そして、ドラクエの代名詞ともいえるファンファーレと共に戦闘シーンが…

 

いやダイジェストすぎんか?

 

正直ここでカメラが下からグイっとパンしてタイトルロゴがドーン!を期待してしまったので拍子抜けしてしまった。序曲の使い方こんなか?CMかと思った。

戦闘シーン自体は結構よかった。自分で呪文唱えて魔法放つのはロマンだし、だんだん剣技がスキルアップしていく様も見てわかる感じになってたし。なにより鳥山明絵の魔物たちがCGでちょっとリアル寄りになってイキイキ動いてるのは感動的だった。ダイジェストだけど。

この時点で気になったのは

・ゲレゲレとの再会・合流がやはりダイジェストで流される

・最初の登場からやたら不審な動きをするなスラリン

・言動が現代的すぎる主人公

あたりだろうか。ゲレゲレに関しては後に母が「ビアンカのリボンで思い出すのに、なかったことにされたの?」とちょっとがっかりしていた。前半の幼少時代スキップの弊害であろう。この辺りにちょっとした伏線が貼ってあるのだが、やたらとイマドキ過ぎる主人公の言動と共に後述する。

 

物語は進み、ついにルドマン邸へ。強力な魔物ブオーンが暴れているので、退治したものはルドマン家の後継ぎとして迎え、天空の勇者と思しき主人公には天空の剣も授けるという。ねんがんの結婚イベントである。

ブオーン戦でかいし戦闘シーンは流石に迫力があった。切る殴るだけではなく戦術で切り抜ける様子は映像作品ならではだった。ただ、討伐したブオーンを仲間にするシーンについては魔物つかいとしては少し寂しいものがあった。「まものがなかまになりたそうにこちらをみている なかまにしますか?」という一文を描写するにしては”死か服従か”の二択を迫るのはちょっと威圧的すぎた気がする。いやまあ大暴れして街に危害を及ぼしてた魔物だししょうがないかもしれないけれど。

そもそもこんな前半に討伐イベントなんかあったっけ?と記憶を辿っていると、母が横から小声で訪ねてきた。

「ねぇ、これお嫁さんはフローラちゃんなの?」

そう。これ、フローラルートに違和感のないように誘導されているような展開になっている。主人公が妙にデレデレしているのだ。フローラ本人も心配したり慌てて照れたり、めちゃくちゃかわいく描写されているのもあるかもしれない。

さっき確認したのだが、元々のシナリオでは「天空の盾獲得の為にフローラと結婚する」というのが大筋で、「結婚に必要な指輪獲得の道中でビアンカと再会、思い出話に花を咲かせ、その後も一緒についてきて気のある台詞を投げかけるのでどうしてもビアンカに情が沸く」というのが結婚の2択を悩ませる構造なのだ。

そこを今回はフローラは丁寧に結婚フラグを立て、ビアンカは「討伐イベント中に酒場で偶然再会、そのまま一緒にボスを倒し、フローラへのプロポーズまでおぜん立てする」ただの昔馴染みとして描いているのだ。主人公自身はフローラと再会した段階で既にその気だし、初めからビアンカには目もくれていない。

そのままフローラとの結婚に一直線かと思いきや、唐突に占いババが現れ、何かよく分からんが自身の本心に訴えかける薬を授ける。飲んでみると確かに深層心理に入りこみ、謎のコマンドウインドウをすり抜けると、そこにはフローラではなくビアンカの姿が。そうか、俺は本当はビアンカが好きだったのか。

 

いやなんでだよ。どこにビアンカ入る余地あったんだ。

 

前述のとおり、幼少期のクエストといい再会シーンといい、ビアンカ関連のイベントはことごとくスキップされている。既プレイの我々は幼馴染という思い出補正があるので、討伐後にプロポーズを促し身を引いた後の憂いを帯びた表情にぐっときたし入れ込めるのだが、例えば初見はどうだろう。正直、プロポーズを撤回してまで選びなおすほどビアンカにフラグが立っているとは思えないのだ。

この一連の結婚イベントのオチとしては「ビアンカの気持ちを察したフローラが、身を引くために占いババに扮し仲人になる」というものなので、先の疑問は「フローラに誘導されたから」と説明はなんとなくつく。つくか?しかし、これはつまりイベント前半で立ったフローラフラグを自ら折ってしまっていることになる。脚本的にどうなんだって話なのだが、これにもちょっとした伏線が貼られている。こちらも後述。

個人的に波留ちゃんのオババ演技めっちゃうまかったと思う。オチバレするまで分からんかった。

 

 

さて、めでたく結婚に至った主人公の夫婦生活は子供が生まれるまでダイジェストで飛ばされる。生まれた子供は原作と違い息子ひとりだが、2時間という制約がある以上はカットもやむなしだろうと思っていた。この時は。

そろそろ特筆すべき点もないのであとは端折るのだけど、ゲマに見つかった主人公夫婦は生まれた息子をサンチョに託し、石化し8年の月日が流れ、立派に成長した息子に解呪され天空の剣も抜けて息子こそが勇者だと判明、そのままボスまでまっしぐら。

途中マスタードラゴンが妙にメタっぽいこと言ったりマーサと再会したら「今回のミルドラースは強大すぎる」と意味深な言葉を発してしんでしまったが、まあ普通に大迫力の総力戦を繰り広げてて面白かった。

特にゲマの迫力はすさまじく、息子と共にとどめを刺すところはちょっとだけ胸が熱くなった。

かくしてゲマは倒したが時すでに遅く、ミルドラース復活のための魔界の門が開いてしまった。勇敢にも息子がブオーンの力を借りて門へ向かって天空の剣を投げ入れ、封印を果たした。これで世界は平和になった。めでたしめでたs

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門から謎のポリゴンがあふれ出し、そのままフリーズする世界。

それまで一緒に戦っていた仲間も、魔物も、息子も、ビアンカも、壮大なすぎやまこういちの劇伴も。すべての時が止まった。

主人公だけが動いて、突然の出来事に困惑している。

 

それは劇場内も同じだった。

今まで没入していた世界観を突如止められ、観ていた大人がみんな固まる。

そして状況が理解できなかった子供たちが、「えっ?」と声をあげざわつき始めた。

普段はご法度だが誰も責められない。フリーズした大人だってそう思ったのだ。

 

そうした沈黙を破り魔界の門から現れたのは、なんかよく分からない現代的なエネミー。こんな敵は俺たちは知らない。明らかに異質だった。

其れは”ミルドラース”と名乗った。正確にはミルドラースのデータを持った、”このゲームに送られたウイルス”だと。

 

あ?ゲーム? 

 

そしておもむろに、テクスチャーをはがし始める。

色づいたマップがグレーになった。生き生きと動いていたキャラクターから色が、生気がはがされ、3Dモデルがあらわになり、この世界の真相が明らかになる。ここはお前がVRで入りこんだ、ドラクエVのバーチャル世界だ。リメイクされ最新技術でいくらリアルな質感になっても、所詮プログラムにすぎないと。

そして”ミルドラース”という名のウイルスは、打ちひしがれた主人公にこう告げるのだ。

 

 

 

大人になれよ。

 

 

 

あれはゲームセンターだろうか?それとも東京ゲームショウのような出展ブースだったのだろうか?主人公によく似た顔立ちのサラリーマンが、ワクワクしながらVRゴーグルを嵌め、懐かしそうにドラクエVの思い出を語る。

主人公の名前は”リュカ”、子供のころからずっとこれだった。

今まで花嫁はビアンカばかり選んでたから、今度こそフローラで遊びたい。

ベビーパンサーの名前は”ゲレゲレ”にした。

幼年期モードはスキップ、子供は1人、ロボットと戦いたいからオプションでキラーマシンを追加配置…

 

ここで、前述した今までの映画内での奇妙な違和感にすべて合点がいってしまうのだ。

 

しょうねんじだいのスキップ。あれは演出ではなく自ら選んだオプションだった。

同時に飛ばされたビアンカとの思い出。これは今回はフローラを選ぶと宣言した時に現れた「じこあんじプログラム」がセットされ、必然的にフローラルートに誘導される流れだったのだろう。

あまりにヘタレな主人公の言動。戦闘経験もない普通のサラリーマンが、チュートリアル兼ねた幼少時代をスキップしていきなり放り出されたらビビっちゃうでしょうね。世界観に似つかわしくない現代的な台詞回しや雑なことわざのぶち込みも、中身が現代日本人なので当然である。やばいとか普通に言っちゃう。

マスタードラゴンの「今回はそういう流れだから」というメタ発言だって、お前がオプションで選んだからやでって暗に言ってるだけだった。

訴訟問題にも発展している主人公の名前”リュカ”、あれはどこかの小説版を好んでいたいちプレイヤーが発言したであろう「昔から名前はリュカ」という話を鵜呑みにして深く考えずに名付けたのではないか。”ゲレゲレ”の名前もこうなってくるとオタクへのウケ狙いだったんじゃないかと穿った見方をしてしまう。

 

 

 

 

私たちはドラゴンクエストVの映画を観ていたのではない。

佐藤健の声帯を持ったひとりのオッサンの実況プレイを、90分延々と観ていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからはあまりに興ざめしすぎてあまり真面目にみていない。

 

なんか変なオプション付けて遊んでイマイチ思い入れのなさそうなオッサンが、「それでも子供のころに遊んだ経験は、今体感したことはホンモノなんだー!」とか叫んでた気がする。

あとスラリンが急に茅場晶彦*1みたいな声で「おれはワクチンプログラムだ!これを受け取れー!」と尻をえぐってロトの剣*2(なんで?)を取り出し、うおーとウイルス君をぶった切って終了。

ポリゴンたちはテクスチャを取り戻し、妻も息子も何事もなかったかのように元気に動き出す。しまいには駆け付けたヘンリー王子が「やはりお前が勇者だったのだ!」とか急に持ち上げ、いい感じの雰囲気を醸しながら「ここから進んだらゲーム終わっちゃうな~」とか名残惜しみながらエンディングを迎えたのだった。

 

 

 

 

いやいやいや。

いまさら生き生き動き出したって君らポリゴンですやん。その笑顔も何もかもプログラムですやん。いくらビアンカがいじらしいこと言ったって、これはビアンカじゃない。「有村架純が声当てて喋ってるポリゴン」にしかもう見えない。フローラはどうだ?わざわざ主人公の視点の外からモシャスを解いたフローラを見せ、あたかも自ら身を引いた演出をしたのに。それすらプログラムだったというのか。

「こんな け゛ーむに まし゛になっちゃって どうするの」と言わんばかりの所業に呆然としてしまった。たまたまトラブルだったのか分からないが、エンドロールを観終わってもスクリーンは真っ暗のまま、劇場も点灯せずしばらく静寂が流れた。この狭い空間を虚無が支配していた。

 

 

 

ところでこのアンチプログラムが世界観をぶち壊して説教していくオチ、なんだか見覚えがあるなぁと思ったんだけど去年観たこれですね。

レディ・プレイヤー1(原作邦題:ゲーム・ウォーズ)。ハリウッド映画の巨匠スピルバーグ監督がメガホンをとった、VR世界を舞台にしたアクション映画である。

あれも似たようなオチだったんだけれど、ドラクエとの違いはゲーム世界にのめりこんでた主人公が最終的に「仮想世界ばっかじゃなくてリアルを見ろよ」とネットで知り合ったヒロインとのリア充ぶりを見せつけて終わるところ。こちらも決して原作にある表現ではなく、スピルバーグ監督がゲームキッズに現実を見せたかったのか?っていう結末だった。

それでも私は満足して見られた。何故か?

スピルバーグのCGアクションが普通に面白かったからだ。

確かに主人公に対しては最後に面食らって「リア充爆発しろ!!!」とは思ったが、そんなことは大した問題じゃない。そこまでのプロセスがぶっちぎりで面白かったので問題にならなかったのだ。また、VR世界を作り出した開発者のレトロゲーム愛がきちんと描かれており、ゲーム大好きBBAが感情移入できるキャラクターとして存在していた。まぁ主人公に「俺はアンタのようにはならない」って言われてしょんぼりしちゃうのだが。

この辺りに関して、原作と映画を分かりやすくレビューした記事がネットに転がっていたので紹介する。

note.mu

また映画「レディ・プレイヤー1」自体もいろんな小ネタがちりばめられていてとても楽しめるのでお勧めだ。ドラクエ映画を観るくらいならこっちを観たほうがエンタメとしてのコスパは高い。

レディ・プレイヤー1(吹替版)
 

 

そもそも、私はこの手のオチは嫌いではない。メタ表現はおおいに好物だ。自分が暮らしていた世界は実は人間という神によって作られた仮想世界だった、君たちはプログラムに過ぎない or 君はゲームに入りこんでしまったリアル側の人間だったのだ!

ΩΩΩ<な、なんだってー

あるいはこれがドラクエでもなんでもなくオリジナルだったら、まあよくあるオチではあるが楽しめたのかもしれない。多少ひどくてもネタ映画として笑い飛ばせていたかもしれない。

ドラクエ ユアストーリーに限って何故こんなに虚無感を得てしまったのかといえば、「なんでこれを既存のでやろうと思った?」の一言に尽きる。

別にいいんだよ、勇者ヨシヒコみたいにあるあるネタを詰めたパロディ世界だったら。もしくはモンスターや魔法、伝説の勇者の剣、といった共通の世界観設定を使ったオリジナルストーリーだったら、面白いかつまらないかは別にしてもここまで文句はなかったと思う。それか最初から「これからVRでゲームを追体験します、今日のソフトはこれ!」と仮想世界であることを断言してしまえば、そういう見方だって出来たんだよ。

だが、題材に選んだのは”ドラゴンクエストV”だ。20年以上前に発表されたゲームが原作である。表題には「V」と明記していないのであくまで原案と言われればそれまでだが、映画冒頭で実際のゲーム画面を使用しており、実際のイベントを改変しつつもほぼそのまま盛り込んでいる以上、これはどうみてもドラクエVなのだ。元々のファンがこれを満足して受け入れると本当に思ったのだろうか?

誤解なきように弁明するが、いいところも当然あったよ。声優を務めた俳優陣はものすごく頑張っていたし、彼らには何も罪はない。キャラはふざけてたけど、モンスターのCGや魔法の演出だけは最高だった。この技術は、ちゃんとした創作物に充ててあげてほしい。

それからゲマのゲス度は憎らしいほど良かった。あの下卑た目で見下されなぶられるパパスや主人公は、さながらこの映画を観た我々をみているようだ。

シナリオにケチをつけたいわけじゃない。最後の最後のどんでん返しが、結果的にそれまでのシナリオを台無しにしてしまっただけの話なのだ。どうしてこうなってしまったのか。

監督本人は面白いギミックを思いついてしまったのかもしれない。ゲームはオタクがやるもの、オタクに人気のシナリオに、オタク受けしそうなメタ演出。昔遊んでたなら前知識は十分あるでしょ?時間無いからどうでもいいところはばっさりカットするから脳内保管して。ダイジェスト部分は適当におちゃらけさせとけばウケるでしょうと。これを「きみたちゲームオタクの物語です。こんなもんプログラムでしかないしいつまでも遊んでないで大人になれよ。ま、否定はしないけどさ。ゲーム最高!」と堂々と世にお出しできたその根性はいっそ感心する。脚本を書いた監督が想定していた客層はあくまでも「俺の思うゲームオタク像」でしかないのだ。

さて、実際はどうだろう。

冒頭にも述べたが、上映後に明るくなった劇場内を改めて見回す。仕事帰りのサラリーマン、夏休みに友達と観に来た男子学生たち。ただ単にゲームが好きな私の母、酷評の真相を確かめに下心で観ていたアラサー私。あとは、ほとんどがお父さん率高めの親子連れだ。リメイクが多数あるとはいえ、小学生くらいの男の子、女の子たち全員がプレイ済みとは考えづらい。恐らく昔ゲームしてたお父さんが自分の息子たちにも追体験させてあげたいと連れて来たのだろう。あるいはかわいいスライムに興味を示した娘にせがまれ、自分も懐かしくなって見に来たお母さんもいるかもしれない。いずれにせよ、観に来ていた子供たちの大半は初見であったはずだ。

監督はドラゴンクエストというIPを甘く見ていた。決してオタクだけのものではない。かつては平日の量販店に山ほどの行列を作るほど社会現象を起こした、もはや国民的タイトルといっても過言ではないだろう。そして、当時熱中していた少年少女は普通に大人になり、結婚し、子供ができ、同じようなワクワクを体験させに来たのだ。ちょうどドラクエVの、魔物使いの主人公のように。

そんな初見の子供たちは、この映画に想定された観客層ではなかったようだ。

劇場を出たところで見かけた、小さな女の子のリアクションは今でも離れない。

分かるわけがないのだ。事前情報もなく、初めて見たのなら。

リュカという名の子供が生まれた。お母さんらしき人がベッドでせき込んでいる。次に見たときには子供が大きくなってる?船で知らないおじさんと青い髪の子が並んでいる。と思ったら、また知らない金髪の子がネコちゃんを助けて名前を付けている。おやぶんゴーストとやらと戦っている。塔?城?の上で何かしている。ドラゴンオーブ…?

肝心の冒頭をスキップし、視聴者の記憶に頼っているのだ。そりゃ理解が追いつかない。それでも物語が始まれば、一応冒険の目的が示され、ダイジェストではあるがRPGらしい様子の一端を垣間見て、登場人物に感情移入していく。愛する奥さん、大きくなった子供の勇者、ゲレゲレ、スラリン。かつて一緒に囚われていた親友に、前に仲間にした超強い魔物。みんなで力を合わせて、諸悪の根源ゲマをやっつけたのだ!

 

そうして迎えたラスボスが、あれだ。

大人になれよ。

そう説教されたのはなにも大人だけじゃない。プレイした思い出を持たない、子供たちもだ。

さぞ困惑したことだろう。画面が突然フリーズし、ラスボスらしき敵が現れては簡単に世界を壊し、カタカナばかりで小難しいけどなにやら馬鹿にしている。スクリーンでは大人がゲームを楽しむ姿が映っている。あれは自分じゃない、なら「大人になれ」とは誰に言ってるのか?この段階で子供の自分は置いてけぼりを食らうのだ。

気が付けばラスボスが倒され、世界は元に戻っている。あの10分間はいったい何だったのか?そしてフリーズしていた筈の親友ヘンリー王子が主人公に向かって、まるで今のラスボス戦を見ていたかのように高らかに言うのだ。

「やはりお前が本当の勇者だったのだ!」と。

トイレに寄った私を待っていた母が、先のすっきりしない女の子としばらく一緒になったそうでその後の様子を教えてくれた。

パンフレットのメインビジュアルを眺め、うーんうーんと唸りながらその場をぐるぐる回る女の子。見かねた親がどうしたのか尋ねると、すっきりしない理由を自分なりに訴え始めた。

「ゆうしゃって結局だれなの?」

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ところでフローラ杖かざしてるけど使った魔法モシャスだけだよな

左のおじさん(パパス)はお父さん、真ん中が息子(主人公)で、孫(息子)がいて、その子が勇者。ここまでは理解できたらしいが、最後のヘンリー王子の勇者発言でまた混乱してしまったようだ。親が必死に「あのおっきい剣使えたのは息子くんでしょ?だから勇者なんだ」と必死に説明していたものの、最後の発言だけはどうにも説明しあぐねていたそうだ。

「最後までプレイしたアタシだって説明できないわよ」とうちの母は笑っていた。

 

原作へのリスペクトも見受けられない、特にオリジナリティーもない、初見への配慮もない。創作として何も受け取るものがない、虚無。ドラゴンクエスト ユアストーリーはそんな映画だった。

私たちは決して他人の実況プレイを見たかったわけじゃない。嫁選びでブヒブヒ萌えてただけじゃない。まして現実を見せつけられて説教を受ける筋合いもない。

ドラゴンクエストというフィクションを、ロールプレイングゲームの映画を見たかった。ただそれだけなのだ。

 

 お盆の帰省ラッシュと被ってしまった帰り道、運転しながら母がぽつりと言った。

「ゲームの映画観に行って説教されるとは思わんかったなぁ…大人になったら、ゲームしちゃダメなのかしらね」

 

 

 

 

 

 

 

いや全然ゲームしますけどね。赤ちゃんなので。アラサーだけど。大人なんかクソくらえ。

*1:SAOの登場人物、VR世界の開発ディレクターにしてプレイヤーを閉じ込めた黒幕

*2:ドラクエ1~3の代表的な剣